ドストエフスキーとバルザック
坂口安吾
−−
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)順《したが》つて
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)A'[#「A'」は縦中横]
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)これ/\
−−
散文に二種あると考へてゐるが、一を小説、他を作文とかりに言つておく。
小説としての散文の上手下手は、所謂文章――名文悪文と俗に言はれるあのこととは凡そ関係がない。所謂名文と呼ばれるものは、右と書くべき場合に、言葉の調子で左と書いたりすることの多いもので、これでは小説にならない。漢文日本には此の弊が多い。
小説としての散文は、人間観察の方法、態度、深浅等に由つて文章が決定づけられ、同時に評価もさるべきものであつて、文章の体裁が纏つてゐたり調子が揃つてゐたところで、小説本来の価値を左右することにはならない。文章の体裁を纏めるよりも、書くべき事柄を完膚なく「書きまくる」べき性質のものである。
婦人公論の二月号であつたか、ささきふさ氏がゴルスワージの小説を論じて、人のイエス・ノウには百の複
次へ
全8ページ中1ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング