後ひと思いに天皇を処刑しなかったかと云っている。石川達三のほうは天皇退位論なんだ。天皇に戦争責任があるから退位しろと云う。天皇に責任があるなんて馬鹿なことはないと思うんだ。責任があると言えば、天皇制を第一に認めることになるじゃないか。ボクは天皇制そのものがなくならなきゃいかんと思っている。責任もくそも、どだい天皇制というものをボクは認めないんだ。共産主義も嫌いだが、天皇制も嫌いでね。本当はアナーキズムが好きなんだよ。
但し今のアナーキスト連中は嫌いだね。日本のアナーキズムは辻潤のダダに通じていて、統一がない。アナーキでも統一がなければいけない。
ボクがアナーキが好きだということを、アナーキストの連中も知っていて、いろんな出版物を送ってくれるが、面白いのは、送ってよこす新聞に、財政的に困っているから金を送ってくれる人は送ってくれ、送る気のない人は送らなくてよろしい、と書いてあるんだ、あんなのも淋しい。
アナーキは最後の統一に通じているものなんだ。批評家は、ボクの人物や作品の最後の統一点がどこにあるか見つけようとして困っているらしい、が、統一はあるね。仏教だろうという人もあるが、仏教の東洋的ニヒリズムではない、まあ一番近いのはチエホフだろう。チエホフからポーだ。ポーはボキャヴラリーの面白さに惹かれる、が、ボクが一番惹かれるのはやはりチエホフだ。最初読んだ頃は文学としてではなく精神の糧として読んだ、仏教以下だと軽蔑なんかしなかった。
この間も気狂病院に入っているとき考えたのだが、真善美なんてもっと人間が進歩すると区別がなくなるだろうが、そのとき、今あるもので一番そういう状態に近づいているものはチエホフだと思った。チエホフって奴は永遠の青年だね。フロイドなんかも逆に考えてそう言えるね。福田恆存もそういっていた。真善美なんて過程と段階の区別はなくなって来るものなんだ。気狂病院に居るとよくわかるがね、あそこの医者は皆そういう場所に居るんだ。彼等は人間を見失うところにいる。狂人の世界は、全く動物の世界と変りがない見たいなものだからね。だからどうしても人間を探さなければいられない。従って拠りどころを見つけるために宗教的になるんだが、ボクは言うんだ、そういう人間のギリギリ結着の場所はむしろ文学の中なんかにあるんじゃないか、チエホフなどよんじゃどうですか、とね。無論ボクは宗教に
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