も文学にも人生にも救いなんか求めてはいない。
 小林秀雄はボクとは逆でね、だからあんなに骨董などいじっている。あいつはバカだよ。文学や骨董に救いがあると思ってやがるんだから。あと十年も経つとボクも彼と同じように骨董いじりをするようになるから、まあ見てろ、と彼は言うが、ボクは絶対に骨董なんかいじらんよ。
 但し、ボクは現実的なことは考えている。世の中の貧乏とか社会制度の欠陥とかはね。その点ボクはとてもリアルなんだ。現実のことは現出天的に処理するより外に道はないんで、その事に関してなら、ボクは政治第一主義を取る。ボクのそんな方面は誰も気づかないようだが、ボクは少年のときから政治を考えているよ。
 政治というものは常に国民の現実的幸福を考えねばいけないんだ。アメリカなんて国はそんなにすぐれているとは思わないが、少くとも日本よりはいゝ、というのはアメリカの歴代の大統領は民衆の生活を高めるという政策を第一にかゝげている。日本の政党にはそんなのがない。だから本当に高い政治は行われたためしがないんだ。
 日本共産党にしても日本政治の全体的な構想を考えていないと思われる。国内で政策をやることを考えていない。そんなことを考えぬやつは政治家じゃない。日本の国土の人口、資源、貿易の問題そんなものを正確に考えない。考えているのはソヴィエットの背景だけだ。ロシヤの援助とか、共産主義諸国の援助とか甘い考えでやっている。そこが今問題になり、批判されているとしても、それは共産党を考えるとき外の人がそう考えるだけでなく、党内部の者がそう考えなきゃ駄目だね。
 今の日本人のあり方はファッショ的でいけない。共産党が指導権を握れば、日本には中間がないから必ずファッショへ行くよ。共産党が中道的な考え方をすれば進歩するんだがね。
 ボクの父は田舎政治家だったから、そんなところからよく知っているんだが、昔の政治家はよく勉強していて、共産主義はよいものだと肯定していた。その点今よりは自由主義だった。今の政治家は駄目だ。今のはファッショだ。犬養のオヤジさんもそうだった。共産党のどこがよいか悪いかぐらい知っていた。今生かして置けばそういう理想に近づいてくる。息子の健はまるでダメだ。あれはたゞの文学青年に過ぎんよ。
 下山事件はバルザックの『暗黒事件』を想い出させるね、あらゆる意味で似ているよ。まだ日本は、バルザックが
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