ヒラメクような才能はあるが、どれひとつ完成されたのがない。佐藤春夫氏も同意見だった。大岡昇平の『俘虜記』は好みからいうときらいだ。小林秀雄は正確だといっているが、あれは書かなくてもいゝことに正確だ。もっと簡単でなければいかん、あれじゃ素人臭いよ。それに「戦争物」を書くにしても、あんなに書くのは賛成じゃない。戦争ものは戦闘そのものに主題があるべきだ。『捕虜第一号』なんか、読んだ者は唖然とするだろう。ボクらの読みたい「戦争物」は冒険物語なんだ。しかるにあれはやはり俘虜記だ。文学はあんなもんじゃない。基地から死地へ向って行く、その間の緊迫した事件が文学の主題であるべきだ。後からの感想の部分なんて、てんでだめだ。大岡君の場合は『捕虜第一号』のような、あんな勇士じゃないんだが、テーマ自体が些末だという気がする、そして遊んでいると思うね。小林みたいな言いかたでほめればほめることが出来るし、ボクも不賛成じゃないが……ボクももし横光賞の銓衡委員だったとすれば、あれをとっただろう。然しあれでは本当の戦争小説とは言えないと思う。
政治談議
コムミュニズムの連中のうちでは半田義之なんかいゝね。彼はコムミュニストになっても、のうのうと恋愛小説を書いている、あれでなくちゃ文学者として駄目だ。女学生の恋愛感情の機微などよくとらえて楽しそうに書いている。私小説は書いていない。あんな風にコムミュニスト作家がなるとたのしいんだがなあ。中野重治にもそうしたむきはあるが、やはりカタイ。政治家になってしまって、昔の鋭さがなくなった。芸術家よりカチカチの党員だね。共産主義になって作品が変るのはヘンだ。どうも共産党に入ると芸術家でなくなる人が多いね。内田巌なんかそうだ。彼みたいなのは困るよ。党員の素質が悪いのはたんに末端だけじゃないね。
石川淳さんは、もし党員になったら、モノスゴイ善玉悪玉小説を書く、すべての資本家は悪玉で、労働者はことごとく善玉に書く、と云ってるそうだが、あの人は心にもないことを言う人でね、理想論をいう人で、あの人の作品はいつも現実とギャップがあるようだ。石川さんなんか右か左か、どちらかへ行く人なんだが、右へ行くね、徳川夢声みたいに。夢声は、ボクも好きで、非常にすぐれた面白い人物だが、たゞあんなに天皇が好きなのはどうも解せない。この点、石川淳さんは天皇制打倒で、どうして終戦
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