時でも、その悪党ぶり薄情ぶりに敬服し、私よりもはるかに偉いものだと思っていた。ヤス子には、あゝいう水際立った目ざましい特技はないが、そのあたりまえさ、あたりまえの高さ、凜々しさ、それは私の心をやすらかにして、そしてそれだけの何でもないことの中で、金竜のそれとは異質の、然しそれよりも一そうの目ざましい何かで、とびあがるほど私の心をしめつけることがあった。それは気品というものだろうか。私は自分が、下素なバカ者であることが、あさましくて、せつなかった。
 私は自分が甘ったれているのだろうかと思った。自分が下素でバカ者だ、などゝは、甘ったれていることだ。けれども、私はそれで納得できるわけでもないのである。
 私はいっそ衣子とのことを、ヤス子に白状しようかと思った。ヤス子に甘えているわけではないのである。そんなことで高まろうというわけでもない。要するに、何かしないといけないような気がし、圧倒されるからで、それ以外にどういうことでもないのである。
 何か奉仕をしなければならぬ。私は夜毎、衣子を訪れるたびに、高価なオクリモノを忘れなかった。それも奉仕だ。衣子はそれを喜ぶ女だからである。けれども、ヤス子に対しては、奉仕する物の心当りがない。はては帰りの道々で、喋る言葉の奉仕すらもできなくなっている始末である。
 昼はヤス子に逢い、夜ごとに衣子を訪れた。そして三日の慰安旅行が終って、大浦博士も戻ってきた。
 その夕方、私はシラッパクれて、東京駅へ一行を出迎えにでて、やア、私は商用で、旅行にでられませんで、残念致しましたよ、ヤス子さんにも居残って手伝いしてもらいましたよ、捜査の方はいかゞでしたか、手がゝりがありましたか、と言ってやった。先生、むくれて、返事もしない。
 大浦博士は私を見くびっているから、私と衣子のことなどは考えてみたこともない。
 その足で、博士はわが家へは帰らず、衣子を訪ねた。情炎の始末をせめてはこゝで、というわけであろうが、ところが、こゝに、さらに、はからざる痛撃をくらった。
 意外や、衣子がキリキリとマナジリを決し絶縁を言い渡す。財産横領、結婚サギ、兄弟の共同謀議、面罵をくらったものである。いかなる弁解も、哀願も、うけつける段ではない。
「あなたの腹は底の底まで分りました。いつまでもダマされてはおりません。インフレの生活難とは申せ、名誉ある学者が、市井《しせい》の無頼漢にも劣らない卑劣なことが、よくもまア、おできになったものですね。病院の出張診療ももはや御無用に願います」
 と云って、完全に縁がきれてしまった。この病院の大浦博士の出張診療は、この病院の看板であるから、衣子が博士とのクサレ縁をきることができなかった理由の一つは、その利害にもよるのである。博士はそれを見抜いているから、婆さん慾にからんでいると見くびっていた。腹を立てゝも、この病院の一枚カンバンはおろすわけにはゆくまい、とタカをくゝっている、そこをやられて驚いた。博士の方にしてみても、大学教授ではインフレがのりきれないから、これをやられると、糧道をおびやかされる。
 博士はひと先ず引きあげたが、あゝは云っても、あの病院の大切なカンバン、折れてこない筈はない、と、電話をかけて、ためしてみても、何日すぎても形勢の変る見込みがない。
 仕方がないから、私を訪れてきて、
「あの病院、僕がやめたら成立ちゃしないだろう。先方も、今さら後悔しても、行きがゝりの勢い、内々困っているのだろうから、三船君、君が行って、こだわらなくともよいから、安心させてやりたまえ」
「そうですか。先生の意志はお伝えしてもよろしいけれども、然し、どうも、実は、なんです、衣子さんから私が依頼をうけたこともあるのです」
「なんだい。じゃア、もう、先方から、僕に復帰してくれるように、君にたのんできたのかい」
「とんでもない。実はA大の久保博士ですなア。あの方は天下に先生と並び立つ隠れもないその道の大家、名医ですが、あの方に後任をたのんでくれとのことで、四五日まえ、ハッキリ話がきまって、今日あたりはもう出張診療されている筈なんですな。この先生を口説き落すには、私もずいぶん骨を折りましたよ」
 愕然、大浦博士は顔色を失い、私の言葉を、鉛色の目の玉でみつめている。
「君は、その依頼をうけて、僕に復帰をたのむ方がいゝというようなことを、言ってやらなかったのか」
「それは、もう、如才なく、申上げたものですとも。けれども、衣子さんが受付けやしませんや。物凄い見幕で、私の方が叱りとばされる始末ですもの」
 博士の目にランランたる憎しみの光がこもって、
「久保という男は、天下名題の色魔だよ」
 まるで私に食ってかゝる見幕である。私も腹にすえかねて、
「そうですか。然し、もう、あの病院には、お嬢さんは例の通り、どこかの色魔に
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