そゝのかされて家出をあそばして、あとはもう、別に色魔にかゝるような御方もいらっしゃらないじゃありませんか」
博士は口をひきしめジロリと私に睨みをくれてでゝ行ったが、まもなく、ヤス子がはいってきて、大浦先生が誘うから、三十分ほど外出させてくれ、と云って、立ち去った。彼がヤス子を誘いだすのは、殆ど、毎日の例なのである。平素は、ヤス子を誘いにきても、私の部屋に顔をだしはしなかった。
私の胸は、常に嫉妬に悩んでいた。
私は嫉妬の色をヤス子に見せないために、異常な努力を払っている。すると私の目の色は、日毎に濁り、無気味な光をたくわえて行くようである。
そして、私は、時々、変なことをするようになった。街を歩いていると、とある家にハシゴがかゝっていて、屋根屋が屋上で仕事をしているのである。ちょうど私が通りかゝった時、屋根屋が屋根の向う側へノソノソ消えて行く時であった。私はフッとハシゴをつかんで、横に地上に倒して見向きもせず歩きだしていた。
又、ある時、買い物して現れて自転車に乗ろうとする男が万年筆を落して知らずに走り去ろうとするから、よびとめて、万年筆を拾いあげて渡してやった。すると、男が胸のポケットへ万年筆を入れようとして、片手に買い物の包みを持ち、片手でゴソゴソ苦労している、そのジャンパーのポケットから大きな紙入れが半分ものぞけている、とッさに私はそれをスリ抜いて歩いていた。一万円ちょッと、はいっていた。
私はヤス子に関する限り、大浦博士に勝ち誇る気持には、どうしても、なることができない。私の心は、いつも負け、嫉妬しているだけであった。
私はいったい何者だろうと考える。私は遊びふけって尽きないだけのお金をかせいでいる。大浦博士はヤス子とお茶をのむ金にも窮しがちであるかも知れない。私は、大浦博士の知らないヤス子の肉体を知っている。
私は然しそのほかに何一つとるに足らない人間にすぎない。大浦博士は、名医であり、教授であり、学者である。立派な風采をもっている。ひろい趣味をもっている。洗練されたマナーをもっている。
どうして、こうも嫉妬深い私であろうか。私はヤキモチはキライなのだ。然し私はいつも嫉妬に狂っている。
私はヤス子を誘う。今夜はダメですと云う。大浦先生と約束があると云う。又、ほかの誰かと約束があると云う。今日は家に用があると云う。一しょに夕食をとっても、それだけで帰ってしまう。
ヤス子はハッキリと私を見つめて返事をする。それは嘘はつきません、ということではなくて、こゝまではホントです、というように私には見える。そして、そこから先は、私は訊くことができない。
「ヤス子さん、あなたは恋愛したいと思いますか?」
「えゝ」
と、ハッキリ答えるのである。
「どんな人と?」
「一番偉い、立派な方」
「有名な人がお好きですか」
「有名な方は、ともかく才能ある方でしょう。女は有名が好きですわ。すべての方に好かれる人を、自分のものにしたがるのですわ」
「なんだか、あてつけられているようだな」
こういう時には、ヤス子はいつも返事をしない。
「私の心は、浮気です。そして、私の浮気の心を縛りつけてくれる鎖となるような、大きな力が知りたいのです。欲しいのです」
ヤス子の目に浮気の光は見ることができない。然し、誰よりも浮気であるかも知れないことを、私もたしかに信じていた。
ヤス子はダンスホールの喧噪の中でも、いつもと変らぬ自若たる様子である。他に無数の踊り狂い恋い狂う人々があることに、目もくれる様子がなかった。それは、そういうことに無頓着なわけではなくて、そういうものゝ最高を見つめ、そのためには、いつ何時でも身をひるがえして飛び去る用意ができているから、という様子でもあった。
「今日は泊りにつれて行って」
と、ヤス子はハッキリと申しでる。その目に色情の翳が宿っていないものだから、私はヤス子の無限の色情、浮気心に圧倒されてしまうのだった。
私はヤス子が妖婦に見えた。これが本当の妖婦だと思うようになっていた。
★
失踪の二人は金を費《つか》い果して帰って来た。
美代子はわが家へ帰ることができず、先ず私の会社へヤス子を訪ねてきたが、ヤス子をみると力が尽きて、倒れてしまった。熱がある。然し、それよりも、腹部の苦痛のために、呻き、もがいた。
生家の病院へかつぎこむ。淋毒であった。
二人は温泉などへは行かず、種則の知人の病院の病室へ、入院の形で下宿させてもらっていたのだ。種則は時々外泊した。美代子の持ちだした品物を売って、ダンサーと遊んでいたのである。二人は争うことが多くなったが、家出の身では、美代子は種則に縋らざるを得ない。種則の外泊のうちに、美代子は種則の知人の医者に犯された。その関係を、種則は見ないフリ
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