する種則のことであるし、新憲法と称し、家の解体、個人の自由時代、兄博士の横槍もヘチマもある筈がないと思うと、あにはからんや、脱兎の如き恋の情熱児が、にわかにハニカンで、ハムレットになった。
 結婚すれば、兄の家も出なければならぬ。自分はまだ研究室の副手にすぎず、独立して生計を営む自信がないから、兄の援助を断たれると、直ちに生活ができなくなる、純情や理想の問題じゃなく、現実の問題だから、と云って、暗然として面を伏せ、天を仰いで長大息、サメザメと暗涙をしぼらんばかりの御有様とある。
 あげくに美代子をそゝのかして、家出をした。
 十日あまりして、兄貴のところへ旅館の支払いの泣き手紙が来て、大浦博士が箱根へ急行して取り押えたという結末であるが、戻ってくる、こうなった以上は結婚を、という、衣子もその気持になったが、ドッコイ、大浦博士が居直った。是が非でも、財産の半分の持参金がなければ、結婚はさせられない、というのであった。動産、不動産、病院の諸設備に至るまで財産に見積って、その全額のキッチリ半分、ちゃんと金額を明示して、これだけの持参金がなければいかぬ、という。税務署の査定よりもはるかに厳しく、自分勝手で、そんな持参金を持ち出されては、病院の運営もできない。
「これは、あなた、サギですよ。まるで、男のツツモタセみたいなものだな。もちろん、種則も、兄貴の博士とグルですとも。よろしい。見ていてごらんなさい。私が泥を吐かせてみせます」
 と、種則に来てもらい、衣子と私の面前にすえて、さて、大浦君、と、私が訊問にかゝろうとすると、にわかに衣子の様子が変って、当の敵は私であるかのよう、青白く冴えた面持、キッと私を見つめて、
「この話は当家の恥ですから、内輪だけで話し合いますから、三船さんは御ひきとり下さいね」
 女中を呼びよせて、
「三船さんが、お帰りです」
 有無を言わさず、宣告を下す。ここまで踏みつけられては、私もたゞは退《ひ》き下れぬ。
 なるほど、私が種則をよんで泥を吐かせましょう、と持ちかけた時に、衣子はすゝんで賛成するようなところは無かったかも知れない。けれども、一言といえども反対の言葉は述べなかったのだから、そして、私が電話で種則を呼んでいるのを黙って見過していたのだから、これを賛成と見て怪しからぬところは有り得ない。
 ところが、種則が現れる。とつぜんガラリと、こう、くるのだから、私もにわかにムクレ上って、
「ハア、そうですか。然し、御当家の恥というのを、一から百まで承知している私ですよ。これから先をお隠しになったところで、頭かくして何とか云うイロハガルタの文句みたいじゃありませんか。私はたゞ御当家のために良かれと」
 皆まで言わせず、
「イロハガルタの文句で相済みませんことね。三船さんはカン違いしていらっしゃるわね。当家と大浦家の関係は格別のものなんです。お分りになりませんこと。親戚以上の大切なもの。当家と三船家の比較にならない格別のものですのよ。ですから」
 と言葉を切って、凜然たる一睨み、こうなっては尻尾をまいて引退るほかに仕方がない。芸人は引ッ込み方が大切なもので、気のきいたところをピリリとひとつ、それだけのユトリがあらばこそ、尻尾をまいた負け犬よりもショボ/\と、その哀れさ。
 それでも廊下を通り玄関へきた時には、急にムクムクとふてくされて、河内山の百分の一ぐらいの悪度胸で居直り、
「オヨシちゃん。私を暫時、女中部屋で休ませて下さいな」
「アラ、そんな」
 鼻薬を握らせて、
「お酒でも、買ってきて飲ませてくれると、オヨシちゃんも、女中なんかはさせておかないと言う人がアチラコチラから現れてくるだろうがな」
 と、女中を相手に、からかいながら、待っている。
 種則の帰るを待って、茶の間へヌッと推参、もとより、御不興は覚悟の上である。衣子はイマイマしげに、また、いかにもウルサげに、ジロリと一べつ、顔をそむけて、喋らない。
「いかなるテンマツとなりましたか」
「どんなテンマツがお気に召すのですか」
 ハッタと、にらむ。私はビックリ、すくみながら、その色気に目を打たれて、ひそかに満足する。
「当家と大浦家の仲たがいが、血の雨でも降ることになったら、御満足なんですか。ゴセッカイに、チョロ/\、なに企んでいるのです」
「チョロ/\何を企むったって、屋根裏の鼠がひそかにカキモチを狙うんじゃあるまいし、それは、奥さん、あんまりですよ。私だって、一人前の男、四十歳、多少の分別はありますよ。失礼ながら温室育ちの奥さんに比べりゃ、数等世情に通じているからこそ、見るに見かねて、いえ、やむにやまれぬオセッカイ。ほんとですとも。毒殺ぐらい覚悟の上で、いえ、失言ではありません。坊主と医者てえものは気が許せませんや。年中扱いなれていやがるから、トンマな
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