君の社長の貫禄という奴をお見忘れがないように、というアサハカな示威戦術であるが、私という奴はいったん、弱気になるとダラシがなくて、今はもう、病院を訪れるには、ヤス子の同伴がなくては恥辱を受けるような不安があって、毎々ヤス子を拝み倒すのであった。
「私は、あなた、それは元来が小人物ですから、腹も立ちますよ。察しても下さい。美代子さんが内々は実は大浦種則氏を好いていると見抜いて、それとなく御両人を結び合してあげようと犬馬の労をつくしたのが、私ではありませんか。それをあなた、できてしまうと、オセッカイな邪魔ものみたいに、私を辱しめ、なぶりものにする。とかく苦労を知らない人は、そんな風に、好意とマゴコロもてかしずく人を、なぶりものにして快をむさぼるものではありますがね。私だって、腹が立ちますよ。それでも、私という人間は、そんなにまで踏みつけられても、いったんマゴコロをもって計った事の完成を見るまでは、附き添ってあげたいのです。いえ、附き添ってあげずにいられぬ性分なのです。こゝのところを、お察し下さい。ですから、踏みつけられても、私は遊びに行かずにはいられないのですよ。そこで、あなたに御同伴をお願いする。すこしでも、みじめな思いが少いように、そして、みすぼらしさを自覚せずにすむように。私はねえ、ガサツな奴ですよ、然し、至って、小心臆病なんです。私はみじめな思いを見るほど、悲しいことはないのですよ。悲しい思いほど、私の人生の敵はない。これを察して下さい、夏川さん」
 こうやって、底を割ってみせるのも、私の示威だ。どうせジロリの相手なのだから、むしろ楽屋をさらけだす。衣子や美代子には、親切気などないけれども、ヤス子は頼まれゝば、人のためにも計ろうとする気持があった。
「ヤス子さん。三船さんの新聞社などお止しあそばせ。ヤミ会社の社員なんて、人格にかゝわりますわ」
 と衣子が言う。ヤス子はすこし考えて、それから、キッと顔をあげて、
「新聞の仕事そのものはマジメな仕事なんです。私、かなり、やりがいのある仕事のつもりで、精一杯やってますわ。社長さんの編輯方針にも、時々不満はありますけれど、概して、共鳴することが多いのです」
 ヤス子は嘘がつけない。ジョークを解さぬわけではないけれども、先方の軽い言葉が、ヤス子にとって軽視できない意味があると、本当のことしか言えないという気質であった。冗談のつもりで話しかけて、居直られるようなことになりがちだから、衣子はヤス子を煙たがり、親しみをいだいていなかった。
「ヤス子さんも、可愛げのない人ね。あんなに居直るみたいに談じこまれちゃ、旦那様もオチオチくつろげやしないわね」
 と、衣子は私を意地悪くジロリと見て、言う。
「それは、あなた、話というものは、ピントが合わなきゃ、仕様がない。ヤス子さんは、奥さんとはピントが合わないかも知れないけれども、ピントの合う人にとっては、あんな可愛げのある御婦人もメッタにありゃしませんよ」
「三船さんはピントが合うつもり? でも、ヤス子さんは、ピントが合わなくて、お困りの御様子ね」
 すると美代子のチンピラまでが、私にジロリと一べつをくれて、
「社長と社員でなかったら、おそばへ寄りつくこともできない筈ね。ヤミ屋の御時世よ。インフレの終ると共に、誰かさんの三日天下も終りを告げます」
 恋は曲者《くせもの》である。あれほど崇拝の姉の君を、美代子も内々煙たがるようになっているのだ。けれども、それを意識せず、あげて私への侮蔑となって表れてくる。
 ところが、この恋が、却々うまく行かないのだ。
 大浦種則は美代子さんだけが欲しい、ビタ一文欲しいわけではないと仰有る。
 ところが、兄の博士が、ドッコイ、そうは勝手にさせられませぬ、と膝を乗り入れてきた。当節、学者の生活ほど惨めなものはない。医学部教授はまだしもヨロクがあるとは云っても、タカの知れたもの、酒タバコの段ではなく、必要のカロリーも充分にはとれぬ。本も買えぬ。火鉢の炭のカケラにまで御不自由のていたらくで、かねて多少の貯えなどもインフレと共に二束三文に下落して、明日の希望もないようなものだ。
 弟の種則には分けてやる一文の財産もなく、礼服一着こしらえてやれぬ。花嫁の然るべき持参金が頼みの綱であるから、富田病院という名題の長者の一人娘に持参金もないような、そんなベラボーな縁談には賛成するわけに参らぬ、と仰有る。もとより、美代子の思いが充分以上に種則に傾いたのを見越した上で、潮時を見はからって、膝を乗り入れてきたのである。
 だいたいが、婚姻政策というものは、政治家や官僚以上に、学者に於て甚しいものだそうであるが、大浦博士に至っては、結婚と持参金、あたりまえときめてかゝった殿様ぶり、天下泰平、オーヨーなものだ。
 かねて自分一個の赤誠をヒレキ
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