赤鬼よりも冷静なもんですよ。私は何も企みません。大浦一家が何事か企んでいると申上げているにすぎません。私の場合は必死の善意あるのみです」
 衣子はプイと横を向いて答えない。
 その言葉や様子から、私の推量と同じような結論を衣子もつかむに至ったのだろう。私はそう見てとって安心したが、図にのって、こまかくせゝくるとゴカンムリをまげさせるばかり、万事は時期というものがある。
「私の公明正大な心事ばかりはお察し下さい。私のカングリがあさはかな邪推に終りました折は、見事に切腹して、御当家ならびに大浦博士にお詫びします。私は事をブッコワそうとしているわけじゃアありませんよ。事の円満なる解決に就て不肖の微力をおもとめならば、何を措いても犬馬の労をつくす所存、又、その労苦を身の光栄に感じているものであります」
 なぞと、たゞそれとなく脈をつないでおくだけで、その日はおいとまを告げた。

          ★

 あの夜、私は衣子にていよく追っ払われて、大いにヒガミ、腹を立てた。私の至らざるところで、人の気持というものが分らないのである。つまり私は一ぱし人間通ぶって、あれこれとオセッカイをやるくせに、実は一人のみこみ、その上、何かというとヒガンだり腹を立てたり、人の気持を察してやることができないのだ。
 衣子にしてみれば、娘の一生の大事であるから、真剣であり、思い決し、悲痛なものがある筈だ。だから私のオセッカイを軽くかわして、私を追払い、種則と膝ヅメ談判に及んだが、私なんかゞ三百代言よろしく一寸見《ちょっとみ》だけ凄んでみせるのと違って、猛烈に急所をついて食い下ったらしい。
 いったいが、女というものは本来そうある筈で、必死の大事となると、人まかせでは安心できず、喉笛に食いつくぐらいの意気込みで、相手怖れず乗《のり》だす性質のものである。それぐらいのことは、かねて知っている筈ながら、私はバカだから、ヒガンだり、スネたりするのである。
 新憲法の今日、一人前の男が、兄貴の気持がどうだからと云って、自分の思いを諦めるなどゝは奇妙な話、世間では、新憲法だというので、若い者が仕放題、親を泣かせている御時世である。これは大方、兄弟グルで仕組んだ逃げ口上でしょう、と、衣子に問いつめられて、種則の返答が、
「いゝえ、然し一人前の男だなんて、とんでもないことですよ。大学の副手の手当なんて、配給のタバコを買うにも足りないのです。全然、生活無能者なんです」
「ですから生活できるだけの持参金は持たせてやりますし、又、月々の面倒も見るぐらいのことは致しますと申したではありませんか。無能力のバカには、それでも、多すぎますぐらいでしょう。全財産の半分とは、あなた方兄弟の肚の中は盗人《ぬすっと》根性というものです」
 ひどいことを言う。女がドタン場で居直ると、意地悪く急所をつかんで、最大級の汚らしさで解説して下さるものだ。私のような小悪党は敵の弱所に同感もあることだから、こうは汚らしく攻めたてるわけには参らない。
 そのとき、種則先生、こう答えたということだ。
「奥さんは僕の立場、理解しておられませんね。僕は兄貴と仲違いしては、生涯破滅、浮ばれなくなるのです。僕は私大の副手ですが、これも兄貴のせいで、僕の頭は特別ダメなんです。中学のとき、数学、物理化学は丁、英語も丁、漢文と国語が丙ですが、それでも兄貴のおかげで大学へ入学もでき、副手になって、ともかく医者らしくさせてもらっているのです。医者はヒキと要領のものなんですよ。僕はそれに、愛想がよくって患者をうまくあしらうでしょう、これはコツですね。医局のツキアイをうまくやってボロのバレないうちは、患者にウケがいゝんですよ。まア、相当な、若手先生なんです。これも兄貴のおかげ、それに僕が要領を心得て、いかにも教授、先輩、同輩に好かれるように、立廻っているのです。これは、マア、僕の才能ですね。僕は人に怒られるようなことは、しないんですよ。ですけれど、この才能が物を言うのも、バックに兄貴の威光があるからで、これがなくちゃア、誤診ばっかりやらかしているものですから、本当は看護婦だって、肚の中じゃア、なめきっているわけですものね。だから、兄貴に見すてられちゃ、一気に看護婦にまで見捨てられちゃうでしょう。僕は一生、浮ぶ瀬がなくなるわけなんです」
 数学、物理化学が丁、英語も丁、漢文と国語が丙、よくぞ申したり、アッパレな奴で、どんなに仏頂ヅラで怒っていても、たいがい腰がくだけてしまう。
 衣子もさすがにウンザリして、完璧な低能なのね、とからかうと、えゝ、まア、生れつきですからねえ、と答えたそうで、色事のモメゴトのあげくの力演は、概してカケアイ漫才の要領になるものかも知れぬ。これは私も身に覚えのあるところである。
 然し、衣子が種則をハッタと睨ん
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