曜日、車親分が社へくるというから、それを待つことにして、二十万円は、見る見る借金を払い消え失せてしまったのである。

          ★

 金曜日に、車氏は自家用車を横づけに、秘書をしたがえて、現れた。秘書の肩幅は、一メートルぐらいあった。
 社長の先生と握手して、
「御高名はうけたまわっております」
 と、如才のないこと云って、ズカ/\と奥へすゝんで、社長の椅子へドカンと腰かけたが、ヒョイと立って、
「そうだ。紹介していたゞきましょう」
「こちらは、車組社長、車善八氏です」
 と、花田が一同に披露した。
「フム。その隅、しッかり、こっちを、向かんか。動作が、いかんぞ。ハキハキせんか。貴様ら、なッとらんぞ。仕事は遊びじゃないんだ。貴様ら、女優の海水着写真をうつす時だけ、六人も揃って行くそうじゃないか。何たることだ。女優の座談会にも、六人そろって行ったそうだな。ヒイ、フウ、ミイ、……アレ、アレ、六人、編輯の全員じゃないか。何たることだ。オイ、何たることだ」
「ワーッ。弱った。これは、こまった。それは、その、そういう意味じゃないんで、それは、その、あの、茶のみ話に、ただ、つまり、ゴシップ的に、そんなことを申上げたゞけでして」
 と、花田が苦悩に身もだえて、頭をかゝえて、腰をくねらせて、懇願したが、
「なにィ。それで、わかるじゃないか。いゝか。仕事は遊びではないぞ。全力で、やれ。コラ、娘、フム、お前だな、お前は校正をやりながら、あらア、唐って、中国のことねえ、と叫んだそうじゃないか。お前、いくつに、なるんだ。その齢をして、唐は中国ねェ、何たることだ。男と一緒に、カストリをのみ、ダンスにでかける。あれは、いけねえぞォ。ヤイ、コラ、男女同権を、はきちがえているぞ。そもそも、お前ら、チンピラのくせにだなア、この敗戦日本に於てだなア、酒をのみ、ダンスを踊る、それはなア、オレは酒をのみ、ダンスも踊るぞ。大いに踊るぞ。オレはだなア、全力をつくして仕事に打ちこみ、かつ、莫大なるオカネをもうける。もうける故に、それ故にだぞ、オレは酒をのみ、ダンスを踊る。しかるに、貴様らは、なんだ。遊んでおる、怠けておる。仕事をしとらん。もうけて、おらんじゃないか。ヤイ、コラ、オレが気合いをかけてやる。今後、仕事を怠ける奴は、即座にクビにするから、そう思え。本日、社告を言い渡す。朝八時出勤、一分、おくれても、いかんぞ」
 一同を睨みまわして、
「オレは本日、これより、国際親善のパーテーに行く。国際親善は、オレのモットーだ。これだぞ。これでなくちゃ、いかんぞ、日本は、外務省などに、まかして、おけん。オレは民間外務大臣みたいなものだぞ。国際親善の実をあげておる。いゝか。これを見よ。オレはだなア、酒をのみつゝも、国際親善、この大きな目的を果しつゝ飲んでいるぞ。しかるに、なんだ、貴様らは。貴様らには、文化という重大な任務が課せられておる。その責任を果すのは、本懐じゃないか。国際親善、及び、文化。実に、これは、重大であるぞ。不肖、車善八、もうけたる大金を快く投げだして、文化国家建設に一身を挺す。これだけの人物は、日本に、おらんぞ。主義のため、国家のために、一身をギセイにしておるぞ。いゝか。わかったか。貴様らのイノチは、オレが、もらったぞ」
「だってさ、そりゃ、いけねえなア。困っちゃったな。オレは、イノチは、やられねえなア。なア、オイ、だって、ひとつしか、ねえもの、困るよ、なア」
 と、大きな声で、悲鳴をあげたのは、土井片彦という自称天才詩人、二十六歳である。時と場所を心得ない。花田一郎は、目まいのため、逆上の気味で、
「アヽ、いけねえ。ホヽ、助けてくれ。ウム、もっともだ。ホホホ、オレは、悲しい。アヽ、ちょッと、木村、オレの心臓が、アヽ、いけねえ、ワア、倒れる」
 肩幅一メートルの秘書氏がズカズカと歩いて行って、天才詩人氏に横ビンタを五ツ六ツくらわせた。土井片彦のお喋りは、なぐられて、よろけたぐらいで、とまるものじゃない。
「いたいよ。なぐるのは、卑怯じゃないか。オレ、兵隊の時も、なぐられて、まったく、よく、なぐられるよ。痛えな。よせよ。まったく、然し、イノチなんて、オレはアノコにも、やらねえからな。だからさ、イノチなんて、アノコに見せても、カッコウがよくねえし、オレはキリストじゃねえから、元々、イノチなんか、ねえんだもの。だから、オレは、天才なんだ。オレが天才だッてことを、知らねえんだから、オイ、痛いよ、よせよ、もし、ぶたれて、オレの頭が悪くなったら、世界の損失じゃねえかと思うんだ」
 国際親善の大紳士にも、こういう怪漢は、はじめてのツキアイらしく、相当に面くらった御様子である。紳士が失ってはならないものは威厳である。車氏は悠然と、もう、よろし、秘書を制して、
「お前は
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