カストリ社事件
坂口安吾

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)怪《け》しからん

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)ズカ/\
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 カストリ雑誌などゝ云って、天下は挙げて軽蔑するけれども、これを一冊つくるんだって、容易じゃないよ。まア、社長の顔を見てごらんなさい。やつれていますよ。これは、キヌギヌの疲れ、などという粋筋のものではない。生活難です。
「オイ、居ると云っちゃ、いかん。居ると云っちゃ、いかん」
 これが社長の口癖であった。彼は必死なのである。
 なんとかして、カストリ社の入口に受附をつくらねばならぬ。入口の扉をあける。ビルの一室を占めているカストリ社の全景は、ただちに見晴らしではないか。これは怪《け》しからん。
「ねえ、先生、ウアッ、怪しからん。生命にかかわる。わが社は、受附をつくらねばならぬ」
「なにィ」
 このカストリ社は、社長を先生とよぶ。なぜなら、彼は文士である。文士であった。粋であった。通であった。粋にして、通なるものが、カストリとは、何事であるか。世の終りだ。
 文藝春秋とか、鎌倉文庫とか、文士が社長の雑誌社は、例がある。然し、彼らは、カストリ雑誌ではなく、思想高遠、威名天下にあまねく、それらの偉大なる社に於ては、チンピラ記者といえども、カストリの如きは、飲まぬ。ワア、ひでえ。ひとり、わが社に於ては。
 悲しい哉、カストリ社は、受附をつくるオカネもないのであった。
「ねえ、先生、受附、なんとかして下さいよ。文士だの、漫画家だのって、まア、うるせえなア。顔さえ見りゃ、原稿料、よこせえ、ワア、ひでえ。カストリ横丁のオヤジまで、借金サイソクに来やがんだもの。わが社に於ては、扉にカギをかけ、密室に於て事務をとる。そうも、いかねエだろうな。ねえ、先生」
「なにィ」
 先生に話しかけても、ムダなのだ。先生は、世の雑音に対しては、なにィ、と一言答えるにすぎないのである。悲しいことを言うな。受附をつくりたいのは、先生自身の必死の願望であるぞ。なにィ。
 ところがさ。はからずも、二十万円の現金が、ころがりこんできた。編輯長の花田一郎が、もらってきたのである。
 十年前の花田一郎は、浅草のインチキ・レビュウの俳優であった。芸はへタだ。お客には受けなかったが、仲間には、受けた。なぜなら、女の肌のむせかえるような世界にすんで、この男は、女なぞには、目もくれなかった。彼は男が好きなのである。けれども、オカマヤの如き下品なるものではない。およそ彼は露骨なるものを、にくむ。よって彼は、あくまで、純情であり、義理堅く、したがって、トンマであった。
 浅草時代、ちょッとばかり世話になった知り合いのアンチャンが、今では親分になっている。テキヤなどとは昔の言葉で、今では土建業、ナント力組、即ち、紳士である。
 その車組の善八親分に街でバッタリ会って、茶のみ話にカストリ社の窮状をもらしたところ、イクラありゃ、いゝんだ、と、事もなげに言ったものだ。あげくに、ポンと二十万、小切手をくれた。元来小心の花田が、犯人の如く、心細く窓口に待つところへ、ホンモノの二十万円が事もなげにつみ重ねられ、イヤ、驚いたネ、そうですとも、二十万円と申せば、帝銀事件の先生よりも三万円も余計じゃないか。何が何だか、分りゃしない。夢心持で、カストリ社へかつぎこんだ。
「なにィ」
 と、一言、うなったきり、社長の先生、言葉もなく、身動きもない。
 心に悩むところ大なる人物は、打見たところ、閑静で、全然、怠け者のようである。だから、社長の先生も、全然、怠け者のようであった。
 冬は机の下へ電気コンロをおき、そこへ足をのばし、両手をクビの後へくんで、一日天井をボンヤリ見ている。春暖の候となるや、靴をぬぎ、両足を机の上へつきのばして、両手をクビの後にくんで、ボンヤリ天井をにらんでいる。夏になると、靴下もぬぎ、机の上へカナダライに水をいれて、その中へ足を突ッこんで、両手を後クビにくんで、天井をにらんでいる。
 頃しも、春であった。机へ乗っけた社長の先生の両足にならんで、二十万円の現金がつみ重ねられている。花田の顔は、泣きだしそうに見えた。たゞ今、帝銀で、かせいで来ました、というようであった。それ以外に、どう考えれば、こんな奇蹟がありうるのか。
 社長の先生も、あきらめきった顔をして、泥亀の要領で、足を机の下へひっこめた。
「もらったんです。つまり、くれたんですな」
 と、花田は、切ない顔つきで、逐一事情を説明した。
「なぜ、くれたんだ」
「それが、その、わからねえや。つまり、くれたんですな。オトコ、か、ねえ」
「フーム。オトコ。そうか。オトコ、か。わかった」
 と、叫んだが、わかったような顔ではない。
 ともかく、金
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