五ヶ月さきのこと、出来が悪くて掲載できないなどと云つたらこの待合の支払ひを如何にせん、そんなことばかり考へて、実際の小説の方はたゞ徒らに苦吟、遅々として進まない。
せつかく燃えひらめいた心の励みも何の役にも立たなくなり、いつたん心が閃いたゞけ、遅々として進まなくなり、わが才能を疑りだすと、始めに気負つた高さだけ、落胆を深め、自信喪失の深度を深かめる。徒らに焦り、たゞもう、もがきのたうつ如く心は迷路をさまよひ曠野をうろつく。
元々彼の近作はその根柢に於て自我の本性、現実と遊離し苦吟の果の細工物となり、すでにリミットに達してゐた。このリミット、この殻を突き破り一挙にくづして自我本来の作品に立ち戻るにはキッカケが必要で、それには心の励みが何よりの条件になるものであるのに、天来の福音をむざむざ逃して、今では福音のために却つて焦りを深め、落胆をひろげ、心を虚しくしてしまつた。
待合の一室に無役に紙を睨んで、然しうはべは大新聞御連載の大作家、膝下に参ずる郷里の後輩共を引見して酒、酔つ払つてむやみに威張つて、おい大金がはいるんだから心配するな、むかしの三枝さんと違ふんだからな、酒はどうも胃にも
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