る。白痴的といふ表現は当らないかも知れぬが、要するに、作家以外の仕事をやると半人前しかやれない、外につぶしがきかないといふ人がある。私なども人々からさう思はれがちだがこれは間違ひで、一般にあの小説家あの詩人はてんで実務に向かないなどゝ同業者にまで思はれ易い人物も案外さうではないもので、詩人などには変に非現実的な詩をものしたり厭世的な詩を書いたりしてゐるくせに、御当人の性癖は事務家よりも現実的な人が多いものだ。文学そのものが人間的なものなのだから、根はさうあるべきもので、文人墨客といふ言葉は近代文学の文人には有り得ず、世俗の人々よりもむしろ根は世俗的現実的なものだ。
三枝《さえぐさ》庄吉は近代日本文学の異色作家、彼の小説の広告のきまり文句で、然し彼は私の知る限りに於ては、小説を書く以外にはつぶしのきかない日本唯一の作家であつた。
彼の小説はいはゞ一種の詩で、彼の作品活動をうごかす根は詩魂であるから、苦吟、貧窮、流浪、ほかにお金もうけの才覚もできない無能者であるからと云つて、然し彼が人間通ではないと思ふと当らない。人間に対する彼の洞察は深く又的確であり、したがつて、夢幻の如くに生きなが
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