ら、世間一般の人々以上に即物的な現実性を持つてゐた。彼は浪費家であるけれども、根は吝嗇で、つまりキンケン力行《りつこう》の世人よりもお金を惜しみ物を惜しむ人間の執念を恵まれてゐるのだが、守銭奴の執念をもちながら浪費家だ。近代文士が即物的な現実家だといふのは、人間通であるから、人間に通じてゐるとは自分に通じることでもあり、人間の執念妄執を「知る」といふことは、つまり自分が「もつ」といふことだ。だから人間といふものが複雑なもので執着ミレンなものであるなら、近代文士はみんな複雑であり執着ミレンなもので、同時に然し彼は浪費家であり夢遊歩行家の如く夢幻の人生を営んでゐた。
 だいたい我々貧乏な文士ぐらゐ、たまに懐にお金をもつと慌てゝお金を払ひたがるものはない。文士が三人も集つてお酒をのんで、それぞれ懐にお金があるときには、お勘定、となると最も貧乏なのがムキになつて真ッ先に払ひたがる。私などがしよつちゆうさうで、マアマア今日はどうあつてもオレにたのむ、などと凄い意気込みで、そのくせツケがきて懐中を調べてみるとお金が足りない。ウロウロ悄然としてまだどこかにお金でもあるが如くに懐をかきまはす時に至つて
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