な取引に応じて、その俗悪な取引を天来のインスピレーションと化し自家薬籠の大活動の源と化す才能をめぐまれてゐたにすぎない。通俗雑誌の最も俗悪な注文に応じても、傑作は書きうるもの、さういふことを彼は内実は知つてゐた。
 事実に於て文学はさういふものだ。自由といふものは重荷なもので、お前の自由に存分の力作をたのむ、と言はれると却つて困却することが多い。本当に書きたいもの、書かずにゐられぬものはさう幾つもあるものではないからだ。だから、通俗雑誌などから注文をつけられたり、こんなことを書いてくれと言はれると、却つてそれをキッカケに独自な作家活動が起り易いもの、なぜなら、作家は自分一人であれこれ考へてゐる時は自分の既成の限界に縛られそこから出にくいものであり、他から思ひも寄らない糸口を与へられると、自分の既成の限界をはみだして予測し得ざる活動を起し新らたな自我を発見し加へることができ易いからだ。だから、誰からもうるさいことを言はれず、家庭のキヅナを離れ、思ふ存分に傑作を書きたいなどゝは空疎な念仏にすぎず、傑作は鼻唄まじりでも喧噪の巷に於ても書きうるもの、閑静な部屋でジックリ腰でもすへればそれで傑作
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