人ではないから、公人としても失格しているものだと考えている。党の政策に対しても、自主的に判断して行動すべきもの、その自由のない政党は落第で、したがって、日本の政党は、共産党は第一に、然し、すべてが落第だと思っている。日本の政党政治家は、自由人ではないのである。
政治家の資格審査は、いかなる政策に賛成したか、反対したか、によって定まるべきものだろう。そして、その結果によって、批判さるべきものであろう。政治家といえども、政党人よりも、自由人を基本とすべきであり、まして、一般人は、政党などというものに所属するのは、愚の骨頂だというのが私の考えである。
政治家が、政党ではなしに、政策を対象にして、一々行動を明確にするようになれば、国民の生活が自然に安定して行くに相違ない。現在の保守政党は、まだしも、かゝる自由人的性格に変貌して行く見込みがあるのであるが、共産党はコチコチの党閥であり、党人が自由人でありうる見込みすらもないのであるから、この政党に進歩性を望むことは本来まちがっているのである。
共産党が今日文化人の一部を吸収しつゝあるのは、清貧、というようなセンチメンタリズムが主要なものゝよ
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