いめぐらすうち、矢島はふと怖しいことに気がついて、一時は混乱のために茫然としたものである。
 神尾は左ギッチョであった。

          ★

 矢島は復員後、かなり著名な出版社の出版部長をつとめていた。ちょうど社用で、仙台へ原稿依頼にでかけることになったので、仙台には神尾の細君が疎開しており、どっちみち訪問すべき機会であるから、カバンの中へ例の本をつめこんだ。
 社用を果してのち、神尾夫人の疎開先を訪ねると、そこは焼け残った丘の上で、広瀬川のうねりを見下す見晴らしのよい家であった。
 神尾夫人は再会をよろこんで酒肴をすゝめたが、夫人もともに杯をあげて、その目に酔がこもると、いかにも生き生きと情感に燃えて、目のある女の美しさ、それをつくづく発見したような思いがした。
 神尾夫人は元々美しい人であったが、目のないタカ子にくらべて、なんという生き生きとした距《へだた》りであろうか。然し、この生き生きとした人が、自分と同じように、神尾とタカ子に裏切られている被害者なのだと考えると、加害者のみすぼらしさが皮肉であり、わが現実がまことに奇妙にも思われた。
 タカ子が単なる失明にとゞまらず、
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