てきたが、その一冊がこの本だ。そしてその本を探しだすとき、二人はもう酔っていて、よく調べもせず、持ってきた。その時、たぶん間違えたのだ。
 そのまゝ矢島は本の中を調べるヒマもなく慌たゞしく出征してしまったから、矢島の本が神尾の家に残ることとなったのである。

          ★

 矢島はたった一冊残っている自分の蔵書のなつかしさに、持参の本はもとの持主の蔵書の中へ置き残し、自分の本を代りに貰って東京へ戻った。
 然し、思えば、益々わからなくなるばかりであった。
 自分の留守宅にあった筈の、そして全てが灰となってしまった筈のあの本が、どうして書店にさらされていたのだろうか。
 罹災の前に蔵書を売ったのだろうか。生活にこまる筈はない。彼には親ゆずりの資産があったから、封鎖の今とちがって、生活に困ることは有り得なかった。
 矢島は東京へ戻ると、タカ子にたずねた。
「僕の蔵書の一冊が古本屋にあったよ」
「そう。珍しいわね。みんな焼けなかったら、よかったのにねえ。買ってきたのでしょう。どれ、みせて」
 タカ子はその本を膝にのせて、なつかしそうに、なでていた。
「なんて本?」
「長たらしい名
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