ものを大変に遅鈍にさせまして、実態にふれることのない、抽象的な考え方をはびこらせることになったのであります。抽象的にならざるを得なかったのであります。弱いのであります。
前にも申しました通りに、ニッポンと西洋とが接触しましたのは四百年ほど前のことでありまして、キリスト紀元の一五四三年、十六世紀、ニッポンで申しますと天文十二年であります。ちょうど、足利末期の戦国時代の始まりかけた時であります。但しこの時は、ヨーロッパ人は初めからニッポン本土へ来ようと思っていたのではありません。シナの船が、暴風に吹き流されて、種子ヶ島へ漂着したのであります。そのシナ船には、ポルトガル人が三人乗っておりました。
この三人のポルトガル人が鉄砲を持っておりました。この時にニッポンに初めて鉄砲が伝ったのであります。これが例の、われわれが種子ヶ島と云っておる、あれであります。これはまた、ヨーロッパとニッポンが接触いたしました初まりなのであります。
御存知のマルコポーロでありますが、彼の手記に書いてあるニッポンは、ジパングということでありまして、黄金で出来あがっている国だということになっております。そのように彼
前へ
次へ
全36ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング