がよいか、どちらがよいだろう?」
 これを聞くとニンジは笑い出してしまいました。そして答えた。
「そりァそんなことは極っていますよ。云うまでもありませんよ。港を目指して行くのがいいです。港というものが判っきりしておって、自分が歓迎されるということが分れば、誰だってそこへ行きます。けれども、私は、私の船がどこへ行くのか知っていないんです。自分の行く先が分らないのですから、貴方の云うようなことを聞かれても、私には返事が出来ませんよ」
 こんな答だったのであります。
 ニンジという人は、非常にザヴィエルを尊敬いたしておったのです。それからまたカトリックにも大いに傾倒いたしたのであります。そして自分もカトリックになろうと思って、大変に苦悶いたしたのであります。
 ニンジの帰依しておりました禅宗というものを考えてみますと、この宗教は、人生をそのままで肯定して、その上で自分一個の悟りをひらこうという目的で、坐禅などをいたしまして、観念だけの上で安心をはかろうといたすのであります。死生の大悟などと云いまして、われわれが見ますと、禅の高僧などといいますと、如何にも悟りきった人間であるようでありますが、
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