かぬ、自分の立場を客観的に考えて見なければならぬ、ということだ。
 問題は、要求と、労資双方の折合う場との客観的な妥当性にあるのだから、ストは絶体絶命の最後のもので、調停が中心問題だ。調停裁判というような国家的に構成された大組織も必要であるが、労資双方の立場に客観的な考察を払うことが必要で、現在のストに欠けるものはこれであり、主観一方に盲動しているとしか思われない。
 ストを武器にすることは、最後の最後のものである。小資本の会社では、ストをやるとクビになる。クビになってもやる。これは絶体絶命の時だ。ストを武器にする時も、それと同じ絶体絶命のものでなければならない。
 現実の世相に最も欠けているものは、自己を客観的に考察することの不足である。自己をも現実の種々相をも、またその関係をも、客観的に、また、唯物的に見ることの欠除である。みんなが、無自覚、無批判に我利々々でありすぎる。
 特に集団的にそうなり易いもので、ストの性格がそうである。反面には、官僚、為政者の在り方自体がそうで、買い手のないタバコを押しつけて、威張りかえって、イヤならよせという、まさしくファッショそのものの堕落タイハイの
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