に服する勇気なくして、知識も文化も向上もあるものではない。
太宰の死
太宰のことに就ては、僕はあまり語りたくない。僕自身の問題として、僕の死ということは大した問題だと思っていないから、太宰の場合にしても、とりわけ自殺に就て、考える必要もないと思っている。その自殺によって、彼の文学が解明されるという性質のものでもない。自殺などがどうあろうと、元々彼の文学は傑出したものであり、現実の自殺という問題は、あってもなくとも、かまいやしない。
文学者の自殺ということは、社会問題としては珍聞であるかも知れぬが、文学者仲間の話題としては、そうかい、太宰は死んだかい、おやおや、女と一緒かい、というだけのことだ。
人間の思想に、どうしても死ななければならぬなどという絶体絶命のものはありはせぬ。死ななければ、生きているだけのことである。同じことだ。文学者には、書いた作品が全部であり、その死は、もう作品を書かなくなったというだけのことである。
太宰は、その近作の中で明かに自殺しているが、それだから、現実に自殺をしなければならぬという性質のものでもない。
私は然し太宰が気の毒だと思うのは
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