、彼が批評を気にしていたことである。性分だから、仕方がない。それだけ可哀そうである。
 批評家などというものは、その魂において、無智俗悪な処世家にすぎないのである。むかし杉山平助という猪のようなバカ者がいて、人の心血をそそいでいる作品を、夜店のバナナ売りのように雑言をあびせ、いい気になっていたものだ。然しその他の批評家といえども、内実は、同じものである。
 太宰はそんな批評に、一々正直に怒り苦しんでいた。もっとも、彼の文学の問題が、人間性のそういう面に定着していたせいでもある。だから、それに苦しめられても、それが新しい血になってもいた。だから又、死ななくとも、よかった。それを新しい血にすればよかったのである。
 自殺などは、そッと、そのままにしておいてやるがいい。作品が全てなのだから。まして、情死などと、そんなことは、どうだっていいことである。
 僕はまだ彼の遺作を読んでいないから分らないが、今まで発表された小説の中では、スタコラサッチャン(死んだ女に太宰がつけていたアダナ)を題材にしたものはないようだ。だから、未完了のうちに死んだか、書く意味がなかったか、どちらにしても、作家としての
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