者が殺到したそうだ。元華族らしき女人をはじめ裏長屋のオカミサンに至るまで、いずれも御婦人方であった。
華族崇拝だの封建性だのと目クジラだてて民主ヅラをひけらかすのは当らない。英雄崇拝や美女美男崇拝はどこにもあることだ。阿部定さんの出所をまって結婚したいと申しこんだ勇士はたくさんあった筈であるし、伯爵令嬢でなくとも、美少女の万引犯に引取って更生させたいと申込みたい勇士は少くない筈である。内々はそう思っても、やらないだけのことで、今まで女はメッタにこんなことをやらなかったが、近ごろは、怖れげもなく、そういうことをやる。
羞恥心の喪失ということではないようだ。元々羞恥してはおらぬのである。なぜなら、元伯爵の子供であり、美少年であるから、という秘密には当の本人が気付いていない。当人はただ可哀そうだと思っており、よいことをしている気持でいるらしい。
つまり、無学無智なのである。そして、現在の日本は、かかる無智なるものに生活力があり、慈善を施す能力が具わったという証拠でもあり、家柄とか教養などというものが生活力を失いつつある証拠でもあるのである。深き教養とか高き家柄というものは、無智無学の生
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