童の性格には、ともかく個性とか個の自覚とか多少の自主性も見られるけれども、応援団の性格には、ファッショ時代には急進的ファッショとなって声をからし、民主時代には、とたんに民主人民となって片棒かつぐ時流のまにまに批判も反省もないデクノボーの性格しか感じられないのである。
応援団的学生が、学生の輿論をつくって悪童を裁いたり怒鳴りつけたり学生の本分を説いたりするのが学内自治と称するものなら、私は悪童の堕落よりも、自治の堕落の方が悲しむべきことだろうと思う。
過渡期に現れる一部分の悪現象から、徒らに旧秩序への復帰を急ぐのは危険であり、そこには進歩というものを期待することができない。
私は、旧秩序への復帰を正理とする人々の方が不健全、畸型なファシストに見え、それにくらべれば、過渡期上の一部の悪現象は、まだしも、健全に見えるのである。そこを通して、新たなより高い生活がやがて結ばれるであろうからである。
私は強盗学生や桃色大学生が好きではないけれども、応援団的学生の自治精神はそれ以上に嫌いである。
慈善と献金
元伯爵の子供が窃盗罪でつかまったら、引きとって更生させたいという志願
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