れば幸いである。
 先日散歩していたら、ラジオ屋の人だかりにぶつかって、私も五分ばかり慶明戦の応援団の熱狂ぶりをきいた。昔ながらのものである。こういう応援団が学生らしい学生で、応援団長とか幹事とかが特に健全なる学生なのかも知れないが、自治運動の親分がこの種の連中だとすると、私は素行よからぬ学生に同情したくなるのである。
 だいたい応援団の雰囲気というものは、教練よりも、もっと好戦的なものである。スポーツそれ自体の性格とは違っている。スポーツは喧嘩と違って、文化的なものであり、勝負はあっても、理知も節制もある娯楽であるが、応援団は喧嘩に属する性格である。ユーモアを解する精神もなければ、プレーをたのしむ精神もなく、好戦的な熱狂だけが全部である。この種の愛校心と、ファッショや右翼団体的な愛国心とは同じ偏したものだ。批判精神などミジンもない。
 私は強いて悪童に味方をしたくはないのであるが、こういう応援団の秩序の中へ参加して、キチガイめいて白雲なびくなどと声をからしている連中にくらべると、こんな仲間に加わらずに、ダンスホールへもぐりこんでいる悪童の方が、まだしも人間らしく見えるのである。
 悪
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