族的|掩護《えんご》があるのじゃないかと考える。たとえば五十年営々と零細な貯蓄をして老後の安穏を願っていた人とか、親ゆずりの多少の家産でともかく今日まで平和であった平凡な家庭などで、虎の子を戦火にやかれる、肉親の誰かを戦野で失う、政治を呪い世を呪う事々の呟きが次第に一家の雰囲気をつくり、性格をつくって行くのである。
 そのうちに、女学校を卒業した娘たちは、親の昔の夢想では平和な結婚生活に入るべきものを、それもかなわずダンサーなどにならざるを得なくなる。そして男と泊り歩くようになる。せっかく大学へあげ末を楽しみにしていた息子も学費がつづかずヤミ屋なぞをやって、遊興を覚える。お父さんもゴロゴロねてばっかりいて娘や息子を食い物にしないで、ゼイタクがしたかったら、自分も稼いだらどう。強盗でも人殺しでも、なんでも、いいじゃないの。どうせヤブレカブレの世の中じゃないか。
 こうして一家の雰囲気が犯罪に同化し、やがて、事もなく犯罪そのものとなって行く。戦争さえなかったなら平凡に終った筈の一家が思いもよらぬ犯罪へ傾いて行く。かかる事例は極めて自然に起りうるはずだ。
 軽率に道義のタイハイを難ずるなかれ
前へ 次へ
全39ページ中22ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング