をやらせて洋食で満腹させなければ救済できないということになるだけである。
 浮浪児とか集団ということから、彼らを無個性な一括的なものとしてうけとることがマチガイで、むしろ集団ということが彼らを最も害している。彼らをうけとる態度には、特に個性的な注意が必要である。
 長野県では、県の全寺院が二三名ずつの浮浪児を育てる里子運動が起っているというが、未開時代に僧侶が知識人の代表的なものであった時と異り、今日の僧侶は特に知識人でも教育者でもなく、むしろ時代の迂遠者であり、寄食的生活者にすぎない。浮浪児の養育を私人にまかせることも文化的なことではない。
 大予算をさいて強力な研究機関と教育施設をほどこすことが必要であろうと思う。

     家族共犯の流行

 親子強盗、一家ケンゾク集団空巣、農村はもっと派手で、近在の百姓さんで、本妻から妾にも動員を発し、さらに娘の情夫も動員して、仲良く荒し廻っていたのもあった。
 この風潮は今後もより多くあらわれることだろうと私は思う。昔は一家の中で悪意を起す誰かがあれば、誰かしら理性の抵抗を起すはずだ。今はそれがない。
 私は帝銀事件の犯人などにも、同様な家
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