て完全な救いが得られると信じた、と語っている。
これだけの報道で事件を批判するのは甚だしく不完全であるけれども、空転する観念から殺人という行動へ飛躍し、その飛躍をさらに理論づけようとする現代の観念論の不備については厳しく批判する必要があるだろうと思う。私がドストエフスキイやジイドに不満を感じる最大の点もそこであった。
現代の観念論は観念にかたよりすぎているから、飛躍を合理化せざるを得ないのであるが、恋愛から殺人へ、社会への不満から殺人へ、武力革命へというような飛躍は、合理化し得ざるものである。なぜなら、事の四周には無数の関係があり、事の上下には無限の段階が有るはずであるからだ。
現代哲学の観念論は、この無数の関係や段階を観念的に処理する原則的方法については考究するところがあるけれども、実人生においては個々の関係や段階に即物的に処理せざるを得ないもので、哲学の説くところはその原則的方法だけだ。個々に直面して即物的に処理せざるを得ぬ実人生の厳しさを忘却して平然たる馬鹿殿様ぶりであるから、恋愛から殺人へ、そしてそれを合理化しようとする無暴な空論を時に神聖視して怪しまない阿呆なことが横行
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