する。古代人の奇蹟が現代の観念論の中にだけ実在しているのである。
 観念論の虚しさに共産党へ走った出隆教授の飛躍にも、私はその根柢に観念論だけで育った人のもつ思索の不備を見る。恋愛から殺人への飛躍の不備と同じ不備を見るのである。
 実人生への関聯、これを私流に云えば、文学との関聯、つまり個々に直面して即物的に処理せざるを得ぬ現実への厳しい目配りを没却して、無為に観念のみを弄ぶひとりよがりの学究態度というものの幼稚さをさとるべき時代であろうと私は思う。

     スリと浮浪児

 私の外套のポケットは内側から切られている。スリの仕業である。私はこの冬外套の内ポケットへ入れておいた金を二度スラれた。出版社から受取ったばかりの印税をみんな持って行かれ、坂口さんはマヌケだなア、わかりそうなものだがなア、などと笑ったその出版社の連中が、今では一人のこらずスリの被害をうけて、カバンをやられてフロシキ包みをブラさげて御出勤の者、腕時計をやられた者、蟇口《がまぐち》組、外套組というのもある。外套をスラれるというのは珍しい。
 この五日にも、さる出版社の連中六人がやられた。社の会の帰途十時ごろ、神田駅
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