をきわめ、正解をひきだす算式はたぶん発見できないだろう。
然し計算というものは精神の平衡状態において算出されるものであるが、賭場の一味には「口惜しまぎれに」という平衡を失した異常心理がはたらいており、だから益々計算の方途を失う。要するに、結果は、どんなにリュウインを下げてみても、後悔、つまり後悔ということは、計算法の出発点がまちがっていたという意味なのである。然し、それでも、訴えない方が利口であったという結論にはならない。心理の計算はむずかしい。
近ごろの世相は兇悪犯罪が増加しているけれども、ともかく犯罪が悪事であること、犯人が己れの悪と戦っている苦痛の心理はあるはずだ。文学に於ても、罪人がその罪と戦うことは常識であるし、一般世間の常識に於ても、罪人がその罪と争うことは当然とされているものである。
ところが江戸時代の一種の文学である筈の講談という世界には、正しい罪の解釈がない。罪の自覚に妥当な内省や計算が加えられていないのである。
殿様のお手打であるとか、新刀をもとめての辻斬であるとか、賭場荒しであるとか、仇打ちであるとか、それらのことは正常の罪の自覚とは別の場に於て物語化され
前へ
次へ
全39ページ中14ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング