んの言う通り、ヘソだしレビュウなどゝは情ない。色気自身を芸でだして行かねばならぬ。女であるということを忘れて、女として舞台に誕生することを第一の心構えとしなければならぬ。
女としては、浅草の女優さん踊子さんは、ダンサアや女給方よりも、数等色ッポイのである。楽屋や、酒席にいる時は、そうだ。だから私が、浅草でお酒を飲むのが好きだという次第でもある。
やっぱり、芸の身の入れ方が足りなかったのだろうと思う。モンパルナスやモンマルトルは、ある意味では、落伍者の街で、浅草も亦、落伍者の街であるが、浅草には落伍者の誇りがない。それだけモンパルナスやモンマルトルよりも低いのである。
つまり、浅草は、たゞドサ廻りの悲哀のような、落伍者的情緒にすがっているだけで、落伍者を誇り、世にみとめられざる我が万能をやむような骨がない。それだけ、彼らが、芸一途にすがっていない証拠である。本来二流三流に甘んじて、悲哀の情緒をふるさとにしているだけなのである。
落伍者の背後に一流の矜持が隠されているようになれば、浅草はおのずから復興する。淀橋太郎とか有吉光也とかみんな素質ある脚本家であり、森川信なども野心満々たる
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