ふけれども、何と云つても戦争本来の性格は殺したり殺されたりすることなので、敵と味方が突貫! といつてぶつかつて、そこでヤアといつて握手したなどゝいふことは決してない。私が如何やうに胸のうちに敵を愛してゐたところで、向ふのトーチカの先様に通じる由はないのだから、どつちの方角から迫撃砲だの機銃だの重砲だの乃至は飛行機の爆弾だの、何が来て、いつ成仏するか分らない。だから、絶対に死なゝい工夫といふのは有り得ないので、なるべく死なゝい工夫。
 機械力、これはマア仕方がない。これを差引くと、戦争はやゝスポーツに似てくる。急場々々に敏活な運動性、肉体の反応によつて、逃げたり、穴ボコへ飛びこんだり、これによつていくらか命をもたせることができる。私がかう考へたのは、私は元来スポーツマンで運動神経が発達してゐるから、肉体の敏活なる反応が訓練によつて非常に大きな差を表すことを熟知してゐるからであつた。才能もあるが、又、訓練だ。尤もオリムピック棒高飛の大江選手がフィリッピンの上陸で人のあんまり死なゝいうちから真ッ先に死んでゐるので、だから「絶対に死なゝい」工夫は有り得ない。
 昭和十七年、十八年、この二年間、
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