を通りすぎると、あとは冬でも同じことで、刺す痛たさも無感覚になる。夏だとこの無感覚がむしろ不愉快で、わざ/\波を起して冷めたさを感じようとするのだが、冬はさすがにその勇気はない。それでもいくらか手をうごかして水を掻いて、痛む鋭さをヂッとこらへて愉快を覚えるぐらゐの多少のゆとりはあるので、もうちよつと、もうちよつとの間と歯をくひしばつて腹の五臓の底の底まで冷えてくる鋭さを五分間ぐらゐ我慢してゐる。それはたしかに慣れると爽快なものなのだ。
そして私はいつもの通り悠々と立上つて湯ぶねをまたいで出たのだが、そのとき少しふら/\した。つゞいて急にぼうとして何も分らなくなつてしまつた。私はその瞬間に心臓麻痺かな、しまつた、愈々成仏かと考へた。そのくせ、とつさに生きることを考へてゐたので、ヘタに倒れずに膝を折つて坐るやうに倒れることを考へた。然し、その瞬間に意識がなかつたので、私は膝の屈折に知覚もなく、したがつて、その屈折のために力を加へることもできなかつた。だが、私は、やつぱり膝を屈折して倒れることに成功してゐたので、私が意識を恢復したときには、坐つた姿勢で前へ俯伏してゐた。怪我はしてゐなかつた。そのとき以来、私は水風呂を断念したのである。尤も毎年夏の間だけはやることにしてゐる。一度慣れると、温浴がむしろ不快になるものである。非常になにか清潔、清純な無自覚にひたるからである。
この訓練は私に自信を与へた。敵が上陸してきて、日本中の家といふ家が吹きとばされて、否応なく野山にまどろむことになつても、観音様の縁の下のルンペンの次ぐらゐには長持ちがするだらうと思つたのである。まつたく、どうも、ひどいものだ。エゴイズムといふものも、こゝまでくると我ながら荘厳にすら感じたほどで、私のやうな怠け者がせつせと防空壕をつくつたのだから、生きたいといふ人の願力は物凄い。
私は然し防空壕について、あまり人々が無関心なので驚いた。私の組の防空群長が隣組のための共同防空壕をつくらせたが、あんまり御座なりなので私は腹を立てた。尤も私の家にはコンクリートの防空壕がある。私は困らないのだが、他の組員は壕を持たないので、第一庭がないところへ、このあたりは一尺掘ると水がでる。コンクリートを使はぬ限り、年中水がたまつてゐて使ひ物にはならないのだ。スコップで掘つてゐるうちに水が湧きだしてくるのだから問題外で、要
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