だ。
私はとりとめもなく幻想的な回想に沈んでいたが、ふと二十一歳の闘病生活を思いだして、はじめて私の精神上の疾患は、私自身が治す以外に法がないと気がついたのだ。私は不眠を怖れて仕事をためらい、最良のコンディションを待っていたが、これほど徒労のことはない。二十一歳の私はヤミクモに辞書をひき、文法書にかじりついて、あの夥しい妄想を退散せしめたではないか。不眠ならば不眠を怖れるには及ばない。ねむたさに両の目が明かなくなるまで、仕事をつゞけて、ねむたい時に、その場で寝てしまえばいゝのである。あのときの夥しい妄想や、聴力が一時的に失われたことや、運動神経まで弛緩してしまったことに比較すれば、現在の私は、はるかに健康と云える。肉体は医者にゆだねる以外に仕方がないが、精神だけは、いかなる時も自分が管理しなければならないものである。私はふと、この理に気付いたのであった。
人間は意志することによって、又、意志するものゝ中に、自分の姿を見出す以外に法がないと云えるであろう。温灸の婆さんのカケアイ漫才の不潔さに堪えられなかった私は、いさゝか寛仁大度を失し、ユーモアを失していたかも知れぬが、見様によれば、
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