っていることを嗅ぎだしたからであろう。
 これほどケンもホロロに追い返さなくとも、いゝようなものだが、なんともカケアイ漫才がうるさくて、見えすいた商売気やハッタリが鼻についてならないのである。ある日は、私を海岸の散歩に誘い、汀をピシャピシャ歩くほど気持のよいものはない、明日夕方の五時に迎えに来るから、と、私が何度イヤだと云っても、二人のカケアイ漫才で、そのシツコサたらない。思うに、海岸には写真屋がたくさん出ているから、そんなものでも撮して宣伝の具にしようとでもいう魂胆だったのかも知れない。そういうシツコサが鼻持ちならなくなったのである。旅先の徒然に、手ごろな慰みだと思っていたが、慰みで終るような軽快なところがなかったのである。
 いつか、尾崎士郎の家で、来合せた人が、「それは士郎さん、ふとるんだったら温灸に限る。けど、こいつは病的なふとりでね」
「そうかね。ほんとに、ふとるかね」
「テキメンにふとる。けど、病的だから、これは止した方がよい」
「ふとるんだったら、病的だろうと、なんだって、ふとりたいね」
 と、尾崎士郎は執拗にふとりたがっていたものである。その日のことを思いだしたから、一
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