てきたようですね。言葉の発音が、しッかりして来ましたよ」
 催眠薬ときいて、私はドキッとした。私には、その記憶がないのである。
「言葉の発音が、そんなに変テコだったのかい」
「えゝ、ちょッと、呂律《ろれつ》がまわらなかったです。言葉もそうでしたが、足の方が、ひどかったですね。伊東へ来た日、尾崎さんの前の河で、なんべん、ころんだか、覚えてますか」
 その方は覚えていた。しかし、言葉がもつれていたという意識はない。
 大井広介の娘、陽子ちゃんが遊びに来た。女房と多摩川へボートをこぎに行って、一泊した。すると翌朝、大井広介がカンカンに腹を立てゝ陽子ちゃんを迎えに来て、
「ママが乳癌と診断されて一晩泣き通していたじゃないか。手術をするんだぞ」
 と、大変な見幕であったが、愛妻家の大井広介が奥さんの乳癌にテンドウしたのは当然であろう。私は乳癌を癌のうちでは最も治療の容易なものと見くびっていたが、長畑さんの話をきいてみると、なかなかもって一筋縄では行かないシロモノであるらしい。私はお乳へラジュームを当てるか、切るにしても、ちょッと一部分と思っていたが、殆んど胸半分を切るのだそうな。
 大井広介が陽子ちゃんを迎えに来たその日までは、私の記憶がハッキリしているのである。警察の保護室に一晩とめられて、出たこと。その三日目か四日目に、檀一雄の家へ行って、敷地を調査したこと。それまで檀一雄は三夜にわたって、私を訪ねてきて、彼の家の真向いに、私の家をつくるという件を、説服したのである。その日まで、夢にも思わなかったことを、彼の強引な口説によって、にわかに私もその気になってしまったのである。
 この期間に、私の記憶のぼけているのは石川淳が見舞いに来てくれたことだけだ。これは、すでに私がお酒で酔っ払ったところへ、彼が来たせいである。檀一雄のウケウリで、今度は私が石川淳も我々の部落に家をつくることを説服した。
 家などというものを建てたいとも思わなかったし、私の力で家が建つなどとは考えたこともなかったのに、実際家が建つことを信ぜざるを得なかったのである。檀一雄の隣家は真鍋呉夫の家であるが、この殆ど無名な(家を建てた当時に於ては完全な無名であったろう)若い作家が、二百円か三百円の原稿料の、それも半分は不払いの不便を忍んで、食うものも食わずに家を建てた。真鍋君は、一時はまったく栄養失調であったという
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