週間に四キロふとったのは温灸のせいだろうか、と私は考えたのである。
 伊東へ来て、一週間。七日のうちに、色々なことを、めまぐるしく、やった。しかし、どれとして、ふとるようなことはしていない。即席の効能としては、痩せる性質のことが主であった。

          ★

 私は伊東へ来るようになったソモソモのことを明確には心得ていないのである。数日のことが、明確には、思いだせないのである。私は又、催眠薬をのむようになっていたのかも知れない。
 覚えているのは、伊東行きのきまった前夜、蒲田の南雲さん(井伏鱒二の「本日休診」の主人公三雲博士)この人は産婦人科医で警察医だが、何の病気に拘らず、私の家の全員がお世話になるお医者さんなのである。それから、長畑さん(柿沼内科医局長。私とは年来の知友である)この御二人のお医者さんが見えていられたこと、これが第一の不思議である。偶然だとは思われない。
 私に伊東行きをすゝめたのは南雲さんであった。南雲さんは伊東に親戚の旅館もあり、二人の坊ちゃんが間借りの避暑にきていた。この間借りをたゝんで帰るために伊東へ行くから、一しょに行かないか、しばらく転地して保養した方がよい、という南雲さんの考えだったようである。
 長畑さんも私の家に一泊して、翌日一しょに伊東まで来てくれた。その翌日は大井広介の奥さんが乳癌で手術することになっていた。長畑さんと大井広介とは古くからの親しい友で、私が長畑さんを知るようになったのも、大井広介を通じてゞあった。
 大井夫人の乳癌を診断したのも長畑さん。一刻も早く手術の手配をとりはからったのも長畑さん。その手術は翌日の朝九時半から外科の手術室で行われ、是が非でも立ち合う必要のある長畑さんが、この際どい瀬戸際に伊東くんだりへ出向いてくれたのは、やっぱり私の知らない理由があってのことであろう。
 私の家には、高橋正二と渡辺彰が毎晩泊って、私の発作に備えていてくれたが、翌朝になると、講談社の原田君も泊っていたことが分った。何かゞあったのではないかと私は思う。私の記憶に明かではないが、作品社の八木岡君も泊っていたような気がする。
 伊東へ同行したのは、南雲、長畑両医師に、高橋正二と女房。渡辺、八木岡両君は後日やってきた。
 伊東へきて三日目の朝であった。旅館の縁側で私と話を交していた高橋が、
「先生、だいぶ催眠薬の影響がとれ
前へ 次へ
全17ページ中9ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング