タリ漫才の二人組とは逆なことを言うのである。二人組の言うこと、為すこと正気の沙汰ではないから、
「どうだい。あんた方、催眠術というものを知っているかい。オレがあんた方に催眠術をかける。あんた方がオレに温灸を施す。どっちが利くか試合をやろうじゃないか」
「催眠術って、ねむらせるんですか」
「眠らせもするが、もッと、ハデにやろうじゃないか。別に火や水を使うワケではないが、オレが術を行うだけで、あんた方の全身、火に焼かれているように熱くしたり、凍ったように冷くしたり、してみせようか」
 火の玉も師匠の婆さんも、にわかに面色が改まって、返事をしなかった。
 その翌日、もう来なくともいゝと電話をかけさせたのに、やってきて、今日は今までとは別な特別のネリ薬を持ってきたから、と、女房にしつこく云う。来るなと云えば、ハイ、サヨナラ、どころの話ではない。むりに温灸をもしはじめて用意にかゝった様子であるから、私が隣室から、
「もう来るなと電話で云った筈だよ。なんべん来ても、ハイ、サヨナラ」
 と、ひきとらせた。それでも諦めず、一時間ほどすぎて、日蓮の婆さんを差し向けてよこした。この婆さんの方に私が好意を持っていることを嗅ぎだしたからであろう。
 これほどケンもホロロに追い返さなくとも、いゝようなものだが、なんともカケアイ漫才がうるさくて、見えすいた商売気やハッタリが鼻についてならないのである。ある日は、私を海岸の散歩に誘い、汀をピシャピシャ歩くほど気持のよいものはない、明日夕方の五時に迎えに来るから、と、私が何度イヤだと云っても、二人のカケアイ漫才で、そのシツコサたらない。思うに、海岸には写真屋がたくさん出ているから、そんなものでも撮して宣伝の具にしようとでもいう魂胆だったのかも知れない。そういうシツコサが鼻持ちならなくなったのである。旅先の徒然に、手ごろな慰みだと思っていたが、慰みで終るような軽快なところがなかったのである。
 いつか、尾崎士郎の家で、来合せた人が、「それは士郎さん、ふとるんだったら温灸に限る。けど、こいつは病的なふとりでね」
「そうかね。ほんとに、ふとるかね」
「テキメンにふとる。けど、病的だから、これは止した方がよい」
「ふとるんだったら、病的だろうと、なんだって、ふとりたいね」
 と、尾崎士郎は執拗にふとりたがっていたものである。その日のことを思いだしたから、一
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