して、その名を呼んでゐた。ふと気がついて飛び上るほど混乱したが、彼の魂は血に飢えた。彼は渡辺小左衛門を本能的に憎悪した。果してそれは恋であつたか? 彼はたゞレシイナの肉体を想像し、それがある人の自由のまゝであることを考へると、気が遠くなり、彼の感官は分離して、四方八方の予期せざる箇所に苦痛な不安がはゞたくのだつた。彼はひどくボンヤリし、呻き声をだすのであつた。みんな死ぬ、みんな死ぬ、彼の重い魂が呟いてゐた。
その呟きの声が渡辺小左衛門の耳にきこえてくるのであつた。あの男はあらゆる平和な人々をみんな殺してしまふのだ。間違ひもなくそれを彼が直覚してゐた。野も山も、人も木も、静かな小さな島よ。どうなるのだらう。神とは何者であるか。そして、四郎は神の子であるか。あゝレシイナ、お前だけは私のそばから離れてくれるな。彼は気違ひになりさうだつた。
底本:「坂口安吾全集 04」筑摩書房
1998(平成10)年5月22日初版第1刷発行
底本の親本:「近代文学 第一巻第一号」
1946(昭和21)年1月10日発行
初出:「近代文学 第一巻第一号」
1946(昭和21)年1月10日
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