の切支丹のふるさとであつた。切支丹の荒武者達は胸にマリヤの絵姿を秘めて戦場を走つてゐたし、ミサの讃美歌に恍惚と泣く大衆達はマリヤの顔に更に愁ひを清めるのだ。それは永遠のあこがれであつた。維新の折、キリスト教が復活して長崎の大浦に天主堂が許されたとき、三百年の潜伏信仰をつゞけてきた浦上の信徒達がひそかに教会を訪れて、プチジャン神父に最初に尋ねた言葉は「サンタ・マリヤ様はどこ?」といふ問ひであつたと記録せられてゐる。神父が彼等をマリヤの像の前へ案内すると、さう、ほんとうにサンタ・マリヤ様、御腕にゼスス様を抱いてゐらつしやる、と叫んで跪いてしまつたといふ。彼らの祈りの対象はマリヤ観音であり、それが切支丹大衆の心の在りかであつたのだ。サンタ・マリヤの顔は東洋的な哀愁を宿し、日本のどこかにいつかしら見かけた思ひが誰しもの心に必ず起る顔であつたし、伏し目の忍従と清浄は日本婦道の神秘自体にも外ならない。四郎の顔はサンタ・マリヤに似てゐた。
 金鍔次兵衛が飄然大矢野島へ現れて、渡辺小左衛門の地所を借りたのは、その時だ。獣の皮のチョッキを着て鳥銃をぶらさげ、五尺に足らない小男のくせに、ひどく大きな声だつ
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