、破片をあつめると壺になる。彼は素人考古学者でガランドウ・コレクションといふものを秘蔵してゐる。それから魚屋へ行つたので、もう夕方になつてゐた。魚屋には自家用の焼酎があり、ガランドウはそれを無心して、我々はしたゝか酩酊に及んだのである。
 要するに、どう思ひ返してみても、十二月八日といふ日に戦争に就て戦争のセの字も会話してをらぬので、相手が悪い、私はつまりガランドウの二階で目をさます、もうガランドウは出掛けてゐる、オカミサンが来て、なんだか戦争が始つたなんて云つてゐるよ、と言つたが、私は気にもとめず午《ひる》まで本を読んでゐて、正午五分前外へでゝ戦争のビラにぶつかり、床屋をでてガランドウに会つて二宮へ来てマグロを食ひ焼酎をのみ酔つ払つて別れて帰つてきたゞけであつた。小田原でも二宮でも、我々の行く先々で、特別戦争がどうかうといふ挨拶をのべたところは一軒もなかつた。日本人は雨が降つても火事でも地震でもなんでも時候見舞の挨拶の口上にするのであるが、戦争だけは相手のケタが違ふので時候見舞の口上にははまらなかつたのかな。思ふに日本人といふ日本人が薄ボンヤリと死ぬ覚悟、亡びる覚悟を感じたのでないだ
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