ころからすでに東京では魚が買へなくなつてゐたらしい。そして小田原にも魚がなくて、ガランドウが二宮の友人の魚屋へ電話をかけて、地の魚はないがマグロが少々あるからといふので、それを買ひに行つたのだ。東海道をバスで走つた。私は今でもあの日の海を忘れない。澄み渡る冬の青空であつたが、海は荒れてゐた。松並木に巡査が一人立つてゐた。その姿の外に戦争を感じさせる何物もありはしなかつた。二宮の魚屋で私達は店先に腰を下して焼酎を飲み、私はひどく酔つ払つて東京行の汽車に乗つたが、私の汽車が東京へつかないうちに敵の空襲をうけるものだと考へてゐた。私は全く気が早い。私はつまり各国の戦力、機械力といふものを当時可能な頂点に於て考へてゐたので、この戦争がこれほど泥くさいものだとは考へてゐなかつた。皇軍マレーを自転車で進撃ときた時には全く心細くなつてしまつたので、尤も私は始めから日本の勝利など夢にも考へてをらず、日本は負ける、否、亡びる。そして、祖国と共に余も亡びる、と諦めてゐたのである。だから私は全く楽天的であつた。
 私のやうに諦めよく、楽天的な人間といふものは、凡そタノモシサといふものが微塵もないので、たより
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