自身の滅亡を確信した。小田原の街々は変りはなかつた。人通りはすくなく、たゞ電柱に新聞社のビラがはられて、日本宣戦す、ハタ/\と風にゆれ、晴天であつた。私が床屋から帰つてくると、ガランドウも仕事先の箱根から帰つてきて、偶然店先でぶつかり、愈々二宮へマグロをとりにでかけたわけだが、ガランドウばかりは戦争のセの字も言はなかつたやうだ。どこ吹く風、まつたくさういふ男で、五尺八寸五分ぐらゐ、大男の私が見上げるやうな大男で、感動を表すといふ習慣が全然ない、怒ることもなく、笑ふことだけはある。二宮駅の手前でバスを降りて、先づ禅寺へはいつて行つていやにサボテンだらけのお寺で、ガランドウは庫裡《くり》の戸をあけて、酒はないかね、大きな声でたづねてゐる。目当の家に酒がなくとも決して落胆したりショゲたりはしない男で、いつも平気の平然で、一軒目がダメなら二軒目、二軒目がダメなら三軒目、さういふ真理をちやんと心得てゐるのであらう。それから鉄道の工事場へ行き、こゝではお寺の墓地が線路になるので、何十人の人間が先祖代々の墓地を掘りかへしてをり、線香の煙がゆれてゐる。ガランドウはこゝの掘り起した土をさぐつて土器を探し、破片をあつめると壺になる。彼は素人考古学者でガランドウ・コレクションといふものを秘蔵してゐる。それから魚屋へ行つたので、もう夕方になつてゐた。魚屋には自家用の焼酎があり、ガランドウはそれを無心して、我々はしたゝか酩酊に及んだのである。
 要するに、どう思ひ返してみても、十二月八日といふ日に戦争に就て戦争のセの字も会話してをらぬので、相手が悪い、私はつまりガランドウの二階で目をさます、もうガランドウは出掛けてゐる、オカミサンが来て、なんだか戦争が始つたなんて云つてゐるよ、と言つたが、私は気にもとめず午《ひる》まで本を読んでゐて、正午五分前外へでゝ戦争のビラにぶつかり、床屋をでてガランドウに会つて二宮へ来てマグロを食ひ焼酎をのみ酔つ払つて別れて帰つてきたゞけであつた。小田原でも二宮でも、我々の行く先々で、特別戦争がどうかうといふ挨拶をのべたところは一軒もなかつた。日本人は雨が降つても火事でも地震でもなんでも時候見舞の挨拶の口上にするのであるが、戦争だけは相手のケタが違ふので時候見舞の口上にははまらなかつたのかな。思ふに日本人といふ日本人が薄ボンヤリと死ぬ覚悟、亡びる覚悟を感じたのでないだ
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