のんでゐるのに、見も知らぬ遠い方から近づいてきて文学の話などやりだすから怒るので、文学は話ではないよ。それは私自身で、私がそれを表現するか、さもなければゼロだ。私が偉い人で、自信のある人間なら、怒らずにゐられる。すでに一年、一行の文字も書くことができず、川の底の屍体をひきあげて町の鼻たれ子供にほめられてもてはやされて、わが身の馬鹿さを怒らずにゐられるものか。酒をのむたびに不機嫌になり、怒るやうになつたのは京都からであつた。それは尚数年つゞき、太平洋戦争になつてから、だんだん怒らなくなり、否、怒ることすらもできなくなり、その代り、エロになつた。酔払ふと日本一の助平になるのであつた。
取手の冬は寒かつた。枕もとのフラスコの水が凍り、朝方はインクが凍つた。朝方はインクが凍るなどといふと如何にもよもすがら仕事をしてゐるやうであるが、たま/\何か酒手のための雑文を書いて徹夜ぐらゐはしたこともあつたであらう。仕事らしい仕事はたゞの一行もしてをらず、してをらずではなくて、するだけの力、実力といふものがないのであつた。三文々士は怠け者ではない。何を書いても本当の文字が書けないから、筆を投げだし、虚空をにらんでヒックリかへつてひねもす眠り、怠け者になつてしまふだけだ。利根川べりのこの町はまつたく寒い町だつた。すると私の悲鳴がきこえたのか、三好達治から小田原へ住まないか、家があるといふハガキがきたから、さつそく小田原へ飛んで行つた。小田原は知らない町ではない。牧野信一が死んだ町であり、彼が生きてゐた頃女に惚れて家をとびだし行き場に窮して居候をしてゐたこともある町で、昆虫採集の大好きな牧野信一とミカン畑の山々を歩き廻つたこともあつた。よく/\居候に縁のある町で、今度は三好達治の居候であつた。もつとも別な家に住み、食事の時だけ三好の家へでかけて行く。
戦争のために物の欠乏が現れはじめ、それが私にも気付いたのは取手の町にゐる時であつた。木綿類がなくなつた、東京になくなつたといつて、若園清太郎が買ひにきた。私のところへ世帯じみた話をもたらすのは常にこの男だけで、女房をつれ、子供をつれ、子供のオシメを持つて遊びにきて世帯の風を残して行くので、私が小田原へ越して後も、私のところに鍋も釜も茶碗も箸もないといふので食事道具一式ぶらさげ、女房も子供もオシメもつれてやつて来て、変てこな料理をこしらへて
前へ
次へ
全13ページ中10ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング