うとは思はれません。
 尤も、僕達は文学の商売人ですから、先人の残した傑作の単なる読者で終ることができないのは、申すまでもないことです。作者の伝記や性格を調べて、発想法や構成法を知り、自分の役に立てることが必要なのは、ここに改めて断はることが野暮なのですが、公開の文章ですから、我慢して下さい。
 作家自身にしてからが、作品を書き終つてのち、作品の中に自己を見出すといふ芸術家的性格が、いつの世にも必要な条件ではなかつたのですか。
 プルウストのあのうねうねと波のやうな文章も、そつくりプルウストの語られた言葉と同じことださうですね。オマーヂュの文集中で、コクトオだか誰だつたか、さう書いてゐたやうでした。尤も、誰だつて、さうですけどね。語る調子を外れて、文章の書ける人はないでせう。
 シェイケビッチ夫人は、プルウストに会ふたびに、まづスワンのその後の動勢をききたがる習慣だつたさうですし、プルウストはプルウストで、合ひの手に頻りとその日の夫人の化粧や帽子や衣服にお世辞の百万辺を言ひたてながら、夢みるやうにスワンのその後の構想を語つてきかせたものださうです。バルザックもドストエフスキーも、同じや
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