うとは思はれません。
尤も、僕達は文学の商売人ですから、先人の残した傑作の単なる読者で終ることができないのは、申すまでもないことです。作者の伝記や性格を調べて、発想法や構成法を知り、自分の役に立てることが必要なのは、ここに改めて断はることが野暮なのですが、公開の文章ですから、我慢して下さい。
作家自身にしてからが、作品を書き終つてのち、作品の中に自己を見出すといふ芸術家的性格が、いつの世にも必要な条件ではなかつたのですか。
プルウストのあのうねうねと波のやうな文章も、そつくりプルウストの語られた言葉と同じことださうですね。オマーヂュの文集中で、コクトオだか誰だつたか、さう書いてゐたやうでした。尤も、誰だつて、さうですけどね。語る調子を外れて、文章の書ける人はないでせう。
シェイケビッチ夫人は、プルウストに会ふたびに、まづスワンのその後の動勢をききたがる習慣だつたさうですし、プルウストはプルウストで、合ひの手に頻りとその日の夫人の化粧や帽子や衣服にお世辞の百万辺を言ひたてながら、夢みるやうにスワンのその後の構想を語つてきかせたものださうです。バルザックもドストエフスキーも、同じやうな条件や時間をもつてゐたやうですね。
勿論、そのやうな条件や時間をもつてゐたからつて、そのことがより傑れた芸術を生みださせる条件になる筈はありません。それほど奇天烈なことは、流石に僕も言ひませんから、御安心下さい。だいたい僕は、何か本質にふれるやうな、さういふ大がかりなことを言ふつもりで君に話しかけてゐるのではなく、かげろふの如く軽いことを、軽い気持で言ふつもりであつたことは、先ほども申上げてゐる通りです。
狂言に、まづ大名が名のりでまして、新座者を抱へたう存ずる、といふので、太郎冠者に申しつけ、街道へ参つて何者ぞよささうな者が通つたら抱へて参れといふ型のきまつたものがいくつかあります。太郎冠者が待つほどに東国方の旅の者が通りかかつて、毎々次のやうに独白します。「罷出《まかりい》でたる者は、東国方の者でござる。この度思ひ立ち、都へ上り、ここかしこをも見物致し、又よささうな所があらば、奉公をも致さうと存ずる。まづ、そろそろと参らう。皆人の仰せらるるは、若い時に旅をせねば、老いて物語が無いと仰せらるるにより、俄に思ひ立つてござる」このあとはいつも話がきまつてゐて、大名にお目見得致しま
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