聞きとれない。彼が耳を顔へ近づけてきき直すと、
「私ももう長いことはございませんのでね。近々お奈良さまにお経もオナラもあげていただくようになりますよ」
隠居はこう云ったのである。枕元の一方に坐していた春山唐七にはそれを聞きわけることができたが、彼は隠居の言葉には馴れていなかったから、またしても聞きのがしてしまった。それで、
「ハイ。御隠居さま。まことにすみません。もう一度きかせて下さい」
と云った。そこで隠居は大きな声でハッキリ云うための用意として胸に手を合わせて肩で息をして力をノドにこめようとした時に、お奈良さまはその方面に全力集中して聞き耳たてたばかりに例の戸締りが完全に開放されたらしく、実に実に大きなオナラをたれた。よほど戸締りが開放されきったらしく、風足は延びに延びて港の霧笛のように長く鳴った。
すると隠居は胸に合わせた手をモジャ/\とすりうごかして胸をこするようにした。そして口をむすんでポッカリ目玉をあいたが、その次には目玉を閉じて口の方をあいたのである。それが最期であった。隠居は息をひきとったのである。
「御隠居さま。御隠居さま。もし、御隠居さま」
連呼して隠居の返
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