発生を心痛せられるような檀家もあって、そのような時には導師たる自分の後に必要以上に多人数の従僧を何列かに侍らせてトーチカをつくって防音する。彼の宗旨は幸いに木魚カネその他楽器を多く用いて読経するから多人数の読経の場合は楽の音とコーラスによって完全な防音を行うことができる。この必要以上の坊主の入費は彼自身がもたなければならない。また、告別式とちがってお通夜の読経は多人数で乗りこむわけにいかないし、楽器も木魚ぐらいしか用いられず、ナマのホトケも泣きの涙の人々も彼に寄り添うように接近しているのだから、防音の手段は望みがたい。したがって、よほど好意的な檀家以外は代理でお通夜しなければならないから、この場合にはミイリがへる。モノイリがかさんでミイリがへるのだから心境円熟にいたるまでには長の悲しい年月があったわけだ。
 春山唐七家の老母は甚だ彼に好意的であった。この隠居の亡くなった主人の命日の日、読経がすんで食事をいただいたあとで、隠居の病室へよばれた。隠居は七年ごし中風でねていたのである。彼が隠居の枕元へ坐ると、
「…………」
 隠居が何か云った。この隠居は顔も半分ひきつッていて、その言葉がよく
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