た。まことに悲痛な様ではあるが、お奈良さまは彼の説く妙諦がまだ充分には味得できなかった。なぜならお奈良さまの一生はあまりにもオナラに恥の多い一生で、唐七のように逞しくオナラを美化する考え方には馴れがたかったからである。
なるほどお奈良さまのお寺ではその女房も花子も遠慮がちではあるがオナラをもらしあっている。そう悪いものではないが、さまで賞味するほどのことではないような気分だ。奥深いと云えば女がそッともらすオナラそのものがなんとなく奥深いフゼイであるが、無限の愛惜をこめて女房のオナラを心にだきしめた覚えもない。
お奈良さまが何よりもその悲痛さに同感したのは、唐七が女房子供にオナラの差し止めをくったということだ。お奈良さまもソメ子にトドメを刺されたけれども、自分の女房子供にオナラの差し止めをくってはおらぬ。自分が差し止めをくったらどうであろうかと考えると胸がつぶれる思いだ。なんという気の毒な人よ。春山唐七。その人こそは悲劇中の悲劇的な人だ。お奈良さまは思わずすすりあげて、
「なんとも、おいたわしい。年がいもなく涙を催しまして、ブウ、ブウ、ブウ、まことに不調法。拙僧なぞはシアワセでござい
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